東日本大震災から1年。昨年は4月上映を6月に順延した事を思い出します。
震災と向き合う!震災前、震災後・・・大きな節目に
なにをしたのか?、何をしなかったのか?安心して生きる生き方とは・・・
豊かさとは・・・何か わすれてはいないか?
震災をわすれない!心をつなげる! と、いろいろ思い出して考える毎日です。
映画上映という場でどのような事がができるだろうか・・・
みんなで一緒になって、 同じ鑑賞、同じ喜びや悲しみを共有する・・・
そんな上映の場ですが 映画の本来の楽しみを続けています。
大きなスクリーンでどうぞ、鑑賞してください。
次回 <映画上映会>
無名庵シネクラブ「私の一本」シリーズ第8弾
「かくも長き不在」フランス映画1961年制作98分
上映とおはなし小勝雅夫(おかつまさお)
2012年4月13日(金)午後6時30分から
会場は午後6時オープンです。
資料代300円(お茶・お菓子付き)

映画上映後、みんなでお話タイムとなります。
フライヤーより
「かくも長き不在」
1961年制作フランス映画 同年カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞受賞
キャスト
アリダ・ヴァリ・・・・・・・・テレーズ
ジョルジュ・ウイルソン・・・・浮浪者
シャルル・ブラヴェット・・・・フェルナンド
ジャック・アルダン・・・・・・ピエール
監督 アンリ・コルビ
脚本 マルグリット・デュラス ジェラール・ジャルロ
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
撮影 マルセル・ウエイス
公開 1961年5月17日(フランス)
1964年8月14日(日本)
上映時間 98分
製作国 フランス イタリア
言語 フランス語
16年前に戦争で夫を失ったテレーズは、セーヌ河岸に近いパリ郊外で、
喫茶「古い教会のカフェ」の女主人。ある日彼女は店の前を夫アルベー
ルにそっくりな男が通るのを見つけた。
彼女は彼が夫であるかもしれないと・・物語はそこから始まる・・・
彼は記憶を喪失した浮浪者――ホームレスだったのだ。
戦前、土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の十日も降ればよい という都々逸
様の民謡が唄われたことがある。教養のない私はこの映画のことを思う
時、このような卑俗な唄を思い出す。そうして戦争を表現するのに必ずし
も爆弾はいらないと思う。この映画も戦争にかかわる映画で、いわば戦争
が生み出した悲劇を描いているが、何万という人員、何百何千という機械
を繰り出して、トン単位で火薬を燃やす大スペクタクルとは全く縁がない。
ハリウッドにも通ずる大巨匠の黒沢監督の作品よりも、小津監督の映画の
ように地味で淡々として進んでいく物語、日本映画を思う時小津と黒沢を
並べてしまう私の貧しさをあえてさらしていえば、ヌーボーロマンの重鎮
マルグリット・デュラスの脚本と相まって、色彩のけばけばしさもなく、
ショッキングなシーンもない黒白のこの映画が好きだ。ちょっと、能の世
界に通ずるのかなとも思う。来日したサルトルが能を見て、ギリシャ悲劇
と対比して絶賛したのを覚えているが、本当の悲劇というものはどんなも
のかと考えさせてくれる。16年の年月は戦争を忘れさせる。そこではも
う、あの兵器という暴力的な機械は隠れている。
新しい詩集で私は戦争を「強姦機械」の跋扈として描いたが、一見平和に
見える社会も隠れた大きな「強姦装置」に抑圧されている。ただ落合恵子
さんの言うように、「忘れさせる装置」に操作されているだけだ。テレーズ
は目覚める。しかし彼女の覚醒はそこに見えない暴力装置の前で阻まれ
てしまう。今、私たちの前にも大きな強姦機械が立ちはだかる。原子力に
よる暴力装置だ。それはついに暴発し、不可視の毒を垂れながしまき散ら
しているが、一年たった今、それらはあたかも人力によって馴致されたか
のように見え、関係者はやっきに事態の鎮静化を喧伝している。しかし、
この事態は計り知れない結果を世界に強要し続けている。半減期何万年
という不可視の放射性物質が、とめどなく私たちを抑圧している。ここに
テレーズの世界と同じ世界を見るとき、この映画をみることの意義もあるだ
ろう。
